と金TOKING

みなさまお早うございます

「煙草1000円」で思いもかけず「将棋史」のトピックを盛り上げていただきました。と金掲示板にも世間を映すTOKINGの場があったほうがいいですね。(♪)

なおTOKINGも「と金」ですよ(歩歩)。HONG KONG(香港)、PING-PONG(ピンポン)と同じ。昔はPEKING(北京)とも書いたし。

さてコメントは「将棋史」などに捉われず幅広くお願いしますが、とりあえずそっちで出た話題と縁があることを二題。

● 尾鷲で内縁の妻が殺した夫の遺体を床下に隠すのを手伝った男逮捕。「象埋めて」と頼まれたという。
● オバマ氏がベルリンのブランデンブルク門の前での演説を希望したが、ベルリン市長は賛成、女首相は反対。ベルリンの壁崩壊の2年前レーガン大統領が、2年後クリントン大統領が演説している(多少不正確かも)。

♪ 当掲示板初期の「と金の歌Ⅰ」にもそのつもりはあったのですが、位置づけとも絡み、当時の情況からすこし理屈っぽいものになってしまいました。今度は気楽に参れますね。

投稿者: 歩曼陀羅華 投稿日時: 火, 07/22/2008 - 09:07 categories [ ]

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喫煙場所と非喫煙場所

本レスでは、少し話題を変える。

ヨーロッパ各国では、喫煙場所と非喫煙場所とははっきりしている。

公共の屋内は、すべて禁煙。屋外は、原則として喫煙OK。

レストランやカフェーも屋内は、禁煙。内部にno smokingなどの表示はない。喫煙者は、どうするかといえば、歩道に並べた椅子とテーブルのところで、喫煙しながら、食事をしたり、飲み物を飲む。

向こうは、歩道が広く、ほとんどのレストランやカフェーは、歩道に椅子とテーブルを出している。相当寒い冬でも外で食事されている方がおられる。

屋外にある駅のホームがすべて喫煙OKではない。ホームの一箇所に線で囲った場所がありそこでのみ喫煙OK.

長距離列車内もすべて非喫煙。日本では、駅構内に排煙装置つきの囲った喫煙場所があるが、向こうにそのようなものがない。

日本に来られる外人の方は、多分迷うであろう。レストランでも喫煙場所と非喫煙場所が分かれていたり、道路でも、喫煙すると、罰金を取られる地域(東京都千代田区の一部の地域)があったりするからである。

マカオ

ポルトガルというとあるマカオ行きのほろ苦い思い出が.

返還まで国連大学(これ日本がメイン)の情報部門がありました.何度か招かれていたのは見送っていたが,いよいよ無くなるというので,行くことにしました.香港はもう返還されて,見掛けはともかく人の心はまるで変わっていた.折悪しく週末に他の私的な行事に出席する約束があった.

世話役の夫人にお詫びしたときの問答:

愚「ポルトガルの植民地を見て置きたいんですよ」
ある夫人「ポルトガルへは主人が招待されたので去年一緒に参りましたわ.
  素敵なところでしたよ.マカオなどご覧にならなくても」
愚「うーん,植民地だから無くなる前に見たいんだけどなぁ」
夫人「本物をご覧になれば.本物は無くなりませんことよ」
愚「…」(汗を拭く)

こういうのはもうダメです.昔はご婦人方だけがこんな風に調子っぱずれだったが,この頃は趣味の世界に定年後の男性が一杯入ってくる.活気が出るし,男としての見識や経験が豊かだからいいはずだと思うと,案外話が通じなかったりします.

それはともかく,丘の上から見下ろした,暮れなずむマカオの港はセピア色の絵葉書そのものだった.「落日」と19世紀に戻ったような旧い植民地の情景と重なって,人生にそう何度も無かった感慨を持ちましたね.船の檣まで古そうに見えた.

翌年も,やはり「南蛮人」の引き揚げ絡みで,今度は私的に訪問する機会が有ったが,そのときの同行者はカシノがお目当てだった.

中国とポルトガルとの混交.おそらく立派な洋館や遺跡だけは残るが,民衆の生活と一体化した,独特の街並みはどんどん消えているのでしょうね.

北京の胡同(フートン)も,90年代半ばにはすでに壊される動きがあったが,このオリンピックで,大破壊があったらしいのは残念なこと.

チベット(ラサ)も行ったことは無いが,かなり壊しているらしい.カトマンズも危ない…

で,要するにポルトガルの「本物」は未だ.

リスボン

>小生が市電に乗らなかったので、その男女も市電から降りた。
これは絶対ありえぬことで降りて正解、ラッキーだったかも?

リスボンのバーで飲んでいたら同行の日本人が胸ポケットに金を入れ「安全だ」と自慢してワシが「危ない」と注意したらその数分後に人ごみにまみれて盗られそうになっていた。あちらに安全などはない。唯一あるとしたらワシのように格好だけ強そうにして盗るとやられそう、と向こうが思うときのみ。(本当はからっきし弱い)

ポルトガルよりもスペイン、コスタデルソルあたりで老後の年金受給者移住を聞いたことがある。最近聞かないがどこの地でも外国移住はなんらかの問題があるのか、、、?

食い倒れ

牛肉は御馳走のようで意外にどこもたいした事はない。スペインでは馬鹿!と言うと牛肉が出てくる。(Vacca)ロンドンでやや高めのステーキハウスに入ったが何ともひどくこれをおいしそうに食べているロンドンっ子に逆に感心した。

フィレンツェの牛肉はただ塩コショーしただけで不思議にうまいBistecca Fiorentino.
ウィンナーシュニッツェル(スペル分からん、ドイツ語苦手)は日本のソースが欲しかった。テーブルに何や分からぬ調味料が置いてあったがどれも合うとも思えなかった。但し食べたのはザルツブルグ。日本のステーキが意外にいけるかも?

ウサギはそれと分かっていれば絶対頼めぬがもしかすると既に口に入っている可能性もあり。聞くところによるとチキンとあまり変わらぬとか?
日本にラムはあるがシープもうまい。パスカでグルグル回して焼くのも楽しいもの。

生臭いオリーブ油を食せたのは幸せ。
1.ギリシャ 2,3がトルコ、シチリア(これは噂)か?一時ダイエーでギリシャオイルを輸入しイタリアが200ml.700円くらいのをギリシャに1300円の値をつけた。しかし多分売れなかったかも?

池袋にギリシャ政府直営店がありここで買ったこともあったがこれは失敗。まだ半分残ってる。今使ってるのはスペイン産2L入り。料理の技術はレシピよりいっぱい使うこと。

今朝の朝食はポトフ。スペインで他の客が食べていたが料理名が分からず悔しかった。コツは野菜の大盛りにする事。これは誰にでも簡単。(食うことに比べたらワシの将棋はアマ3級か?)

天橋立

未だ踏みも見ぬ,,,
京都の上の海岸で何度か焼きうどんを食った。ソースなのか醤油なのか理解できなかった?

ポルトガルのリスボンの思い出

ポルトガルのリスボンに3日間滞在しことがあります。

リスボンの国鉄オリエンテ駅から市電に乗るために待っていた。目的の市電25番が来たので乗ろうとしたが、ある50代の男性が口から泡をとばしてその電車に乗ってはいけない、といわれた。その市電25番に乗らなかった。

次に25番以外の市電が来た。今度は、先ほどの男性と違う年配の男女が先にその市電にのり、小生にその市電に乗るように薦めた。警戒して、その市電に乗らなかった。小生が市電に乗らなかったので、その男女も市電から降りた。

ホテルに帰って考えると、最初に市電に乗るな、と言った男性は非常に良い人なのだろう。怪しげな男女がいるから市電に乗るなと、言ったのだろう。

リスボンでは、変だと思ったのは、これだけである。リスボンは物価は安い。食べ物や交通費(メトロやタクシー)は東京より安いだろう。

メトロParque駅の近くに飛鳥という日本食レストランがある。天丼と日本茶(外国では日本茶は有料)で12ユーロぐらいだった。

食味あれこれ

グルメの人には敵いません.牛肉料理は,なかなか違いが記憶に残らない.先日のパリではフランス人に大人気というピレネー地方の料理の専門店に連れて行かれましたが,たしかに美味しかったが,さてどこが特徴的だったかは,もはや表現出来ませぬ.大変柔らかかったと言う程度.

野ウサギ(フランス),ガチョウ(イギリス),トナカイ(ノルウェイ)など素材の違いが有れば分かりますが.

中国はいろいろ物凄いけれども,ツバメの巣や鱶のひれも,別に美味しいわけではないという印象です.ただこの世界には上には上がありそうなので,宮廷ででも出るような最高の物は,別だろうと想像します.

ずっと前に仏教学の中村元大先生がブータンの国王から貰ったという茅台酒を戴いたことがありますが,こういう酒についての観念が全く変わってしまいましたね.次元が違う.だからといって,自分で手に入れてまでマタ飲みたいは思いません(全く同格なのは手に入らないでしょうが).

ほかに日本人の好みもある.今回イタリーでの会議の晩餐会は,京都の鴨川の「床」のようなところでありましたが,そこのレストランのオリーブ油は当然のことながら「最高級」とV.S.O.P.とX.O.と合わせたような能書きが書いてあった.臭みがほとんど無くて,たしかに「いわゆる一つの」(長嶋節)洗練された極致だったけれども,日本で通が取り寄せているもののほうはちょっと青臭いような香が生々しくて,我々日本人は「ああこれが本物のオリーブ油なんだ」などと感激してしまったりする.

ポルトガルは未だ踏みも見ぬ地.一頃日本人が老後の移住の候補地にしてましたね.その後移住者は(知り合いは居ませぬが)どうしているやら.愚も30代の頃,さして本気でもないが,老後はポルトガルかななんて考えて見た覚えが.

牛もつサンド

うまいものと聞くと止まらなくなる。色気卒業(嘘)食い気のみのご隠居のたわごとと思って許されよ。

フィレンツェにお越しの節は是非牛もつサンドをお試しあれ。
ゆでたもつを目の前で切ってパンにはさむ。軽く塩コショーしてこれは毎日止まらなくなる。St Rolenzoと昔はストローマーケットにもあったが?頼むとヴェルデ(野菜ソース)ロッソ(ぴリカラソース)をつけてくれる。
分からなければランプリドットと言えば教えてくれるかも?

そういえばパスタ(普通はペンネ)も日本ではあの味が出せぬものか?桃太郎トマトが甘すぎる、、、

ポルトガル

ポルトガルもうまかった。

大西洋と地中海の魚が違うのかもしれない、、、?

チェリー酒か果実が入ったワインがばかうま!

是はうまい!

ヨーロッパでうまいものと言ったらいろいろあるがスペインでは何を食べてもうまい。
魚介類が豊富でそれほどしつこくない。ギリシャにも絶品料理があるが皆様の行きそうなところでやはりローマでは、、

S.M.Maggioreの向いにむかしラザーニャのうまい店があって次に行ったときには既になくその次もまた無駄とは知りつつ行った。特にその店だけでなくごく普通の味と思うが都内でうまいイタリアンに行く度にほぼ必ずあれば頼むが味が全く違うのが残念。

テルミニの近くのピザ屋で朝トマトの出来立てピザが最高!あふれんくらいのトマトで下から食べるようにしないとこぼれる。そういえば日本でうまいものを食ったことがない。

料理ではないがパリにお越しの節はホテルで朝食、などせずに是非パン屋でパンを買ったら如何か?焼きたてのバケットにバターだけで幸せになれる。そういえば渋谷にパリ直営店があって焼きたての時間に女性が列を作って買っているのを見たことがあるが家に帰ってさめてから食べれば同じ事。是非その場でかぶりつくことをお勧めする。

屋台の生鰊

今日から王位戦だと思ったら未だ1日前.北海道だと思っていたら箱根なんですね.

食べ物については,愚の場合は,自分で食べ漁りに行くタイプでもないので,会議の宴会や招待では結構珍しいものも戴いているのですが,料理の名や材料はそう頭に残って居りませぬ.

一番を上げれば,数週間の季節にだけ有るアムステルダムの屋台で食べる,もしかしたらその朝北海で獲れたての生鰊(小さめのへリング)のマリネ.若い頃定期的に訪れていた時期が有り,その時節のときに当るように「運が良ければ〝運河〟の」畔に行って毎日食べていました.

オランダ人曰く:

「毎日1匹鰊を食べる者には医者は寄り付かない.毎日2匹鰊を食べる者には誰も寄り付かない.」

犯罪の話はあらためて.

♪ そうそう〝運河〟の畔はご存知ハンブルグと並ぶ「飾り窓」も名物でしたが,今年辺りからとうとう「浄化」され,芸術家達やファッション・デザイナーのパフォーマンスや展示の場として生まれ変わりつつあるそうです.若い頃,絵葉書になっていた一番の「スター」(皆様もご記憶ではありませぬか?あのなんとも愛くるしかったアイドル風の…)から声を掛けられたときに,部屋に連れ込まれる度胸が無かったのが,今思うと残念です.

彼らの目的は現金である

そういうときは、観光だから持ち物は、肩からかけたカバン1個である。たとえ、みやげ物を手に持っていて下に置いたとしても、彼等はそういうものは狙わない。彼らがほしいのは、現金である。

カメラで一緒に写真を撮ったら、次にどうなるかわからない。

ヒモで手を結んだ場合、現金を渡さないと、そのひもをほどいてもらえない。この手口は、ダイアモンド社発行の「地球の歩き方  ローマ編」に説明されている。

おいしい食べ物に関し、小生、食べ物に関心がない。小生、世の中のほとんどの食べ物は、おいしく感じる。例えば、東京で一番おいしいカレーライス店(そういう店がどこにあるかわからない)のカレーライスも駅の立ち食いのカレーライスも同じようにおいしい。

小生、現地で日本料理店、中華料理店やフランス料理店にたまに行くことがあるが、ほとんどは、デパ地下で何かを買いホテルで食べる。

明日から将棋ファン待望の王位戦第7局。その前にこういう話題もよいのかもしれない。

おいしい料理は?

また、掲示板が盛り上がってきましたね。しかも、将棋とは全く関係ないところで。
これもまた、楽しいですね。

歩曼さん、暇人さん、いつでもいいですからヨーロッパの街で、これはおいしいと思った
料理や食べ物を紹介してもらえませんか。いろいろと思い入れのある食べ物があると
思います。

それがしは、ローマで食べた超薄焼きのピザとフランスのアミアンで食べた
オムレットが今でも思い出に残っております。その他にもいろいろとありますが、
今日はもうこんな時間、明日、仕事もあります。またの機会に。

でも、今日は棋譜がいっぱいアップされそうです。将棋の掲示板だから、当り前ですが。
それに、それがしも一枚加わりそう。

絶対相手にしない

>一緒に写真を撮ろうとか、ヒモを持って一緒に結ぼうとか。

手荷物を下に置いたら最後、風のごときスピードで手荷物を持ち去られる...といったトコロですか?

永遠の都

暇人さま>ローマは、観光資源の宝庫である。一度行ってみる価値があると思う。

街すべてに古代の雰囲気が漂っており、幻想とロマンに満ち満ちた都市ですね。
サント・アンジェロ城、スペイン広場、トレビの泉、ナヴァーロ広場、カラカラの浴場、
テベレ河、フォロ・ロマーノ、いろいろな丘、そしてミケランジェロの設計による建物…
ほかにも、アッピア街道、真実の口などローマは本当に魅力に満ちた街です。
街を歩いているだけで映画のセットにいるようなふわふわした気持ちになってきます。

ある作家が述べています。
「後になって私はローマを知った。この街に較べれば、他の街など存在しないに等しい」
彼もまた、都市ローマに魅入られた一人だったのだろう。「永遠の都」の名前もむべ
なるかなです。

ローマは安全なところ

小生は、テルミニ駅のすり集団のことを書いたら、いろいろな方がレスされた。それについて感謝しております。

ローマに行かれたことがない方が、ローマはいかに危険なところとの印象をもたれると困るので、補足説明させていただきます。

基本的に旅行用のスーツケースをもって歩かなければ、ローマは安全である。スーツケースを持っているときは、タクシーでホテルに行く。

小生、ローマでオペラを見た。終わったのは、夜12時近くだった。テルミニ駅近くを歩いて帰ったが、危険だと印象をまったく持たなかった。

ローマでは、いろいろな方が声をかけてくる。一緒に写真を撮ろうとか、ヒモを持って一緒に結ぼうとか。こういう方が近づいたときは、絶対相手にしないで、急いで現場を離れる。

これらを守れば、ローマは安全である。住民が銃を持っているわけではない。

ローマは、観光資源の宝庫である。一度行ってみる価値があると思う。

テルミニ駅といえば

昔の映画、「終着駅」の舞台となった駅。映画では人妻とイタリア人青年の
哀切極まりない別れが演じられた所(今でも、モンゴメリー・クリフトの最後の
悲痛な顔を覚えています)ですが、いまや駅およびその周辺はスリや怪しげな
外国人がたむろしていて、かなり危なくなっているようです。それがしも、家族で
ローマに行った時、駅から出ようとしたところで鉄道警察官みたいな人に呼び止められ、
泥棒にはくれぐれも気をつけるように、家族で固まって行動するようにという
忠告を受けたことがあります。

地下鉄でも一つ手前のマンゾーニ駅では何ともなく、落ち着いてのんびりとした
感じを受けるのですが、テルミニ駅ではいつも緊張と不安がいっぱい。最近、
イタリアの治安当局もようやくロマ人の取り締まりに力を入れだしたそうですが、
まだまだのようですね。

テルミニ

すりにはご用心。

駅前のチンコチェント広場には悪いのがたむろしている。しかしその気で行くとけっこう面白い。売店の物価も少し安かったような気がするが?

しかしワシが行ったのは何時か?前世紀である事は間違いないが、、、いつも出発2日前に到着、前日バチカンで当日朝立ちだったような気がする。ゆっくり見たのは何十年も前かも?

盗られたら「すり」はなんていうんだっけ?などと考えずにとにかく叫ぶことか?
なぜかワシには誰も狙わんが、、、?

ローマ

教授が、イタリアの話題を提供されましたので、小生 昨年3月ローマに行ってきましたので、その感想を述べさせていただきます。

入国審査
入国審査は、EU国民とその他の国民とは、それぞれ別のところに並ぶ。日本人は、中国人と同じところに並ぶ。中国人の方は、パスポートのほかに何らかな書類(多分ビザと思われる)をもって入国審査官のところに行く。審査官は、その書類を見て審査に2~3分かかる。
日本人は、パスポートの顔写真も見ないで、15秒で終わる。
出国審査も簡単だった。

すり集団
ローマ空港から電車でローマの鉄道駅(テルミニ駅)にきた。ホテルに行こうと駅から出たところで、5人の女すり集団に囲まれた。そのうちの1人が財布が入っているズボンの前ポケットにわずかに手をかけた。被害はなかった。急いで駅に戻り、タクシーでホテルに行った。

イギリス大使館
イギリス大使館の表示板(英語でイギリス大使館と書いてある)の写真を撮った。ポリスが来た。IDを見せろといわれたので、パスポートのコピーをだした。名前をノートに書いていた。デジカメの撮った写真は削除させられた。

コロッセオ(古代の円形競技場)
約1900年前に建造されたが、半分以上は、原型をとどめていた。中に入り、感動した。

伊仏国家感の違いか?

悲観楽観。

伊ではうまく調和したが仏では影響が大きすぎたか?

オドアケルの昔を思い出させる。
ゲルマンに征服されてどうなったのか?
ワシもさっぱり思い出せぬ、、、?

北欧と南欧と移民と

ヘルシンキとイタリーでは,随分違うものなんですねえ.尤も厳しいのは出国時の保安チェックで,入国に関しては,日本の税関が書式記入を復活させた以外は,どこも素早くなって来ていると思います.

あそこは木の繊細な製品がいいですね.飛行機の都合で,一度ほんのちょっと街を散歩したことがあるだけですが.

イスラムの移動ですが,イタリアの女教授にイタリアの結婚事情を聞いたところ,(日本と違って)若者は結婚はしたがるが,子供は作りたがらないし,作っても一人というのが多いので,人口はかなりはっきり減る見込みと言う.

それは移民で補えるから問題無いという.産業など国の活動に支障は無いし,建物や遺跡などのイタリアの文化遺産の継承も心配無いという.ではイタリア文化そのものについて気にならないのかと突っ込んだら,口を濁してしまいました.

ただし国家観や民族観というものが日本人と違うのだろうし,論理学専門の情報の女教授だから,イタリア人の考え方の代表ともいえないかもしれませぬ.おそらく知識人の間ではこういう割り切った考えが多いのか,やむを得ないと思っているのか,それ以上言えない状況(事情)もあるのか.

花のパリーかロンドンか?

中国あたりと思ったらずいぶんと遠いご出張?
若い頃なら羨ましい?かも知れぬが今は何ともご苦労様、というしかない。
ワシなら腰痛休暇を頂きたい、、、?

碩学、、、などというのは言われたことがないので誉められているのかさっぱり分からん。早い話が横丁の物知りのご隠居さん、というところか?あちらはさておき話題が満載?

大人の乞食は間違いなくEU拡大によるもの。
数世紀後には今が’イスラムか、アラブ民族大移動’、などど書かれるかも知れん、、、
それも初期、そのうちには日本もその標的に?

オリムペックと言えばアテネの折、直前まで居て帰ってきたことがある。
安ホテルが一泊数十万?とか言われた時に友人宅に無料無期限居住中(美女美食付)で普通には何で帰ってきたの?と言うところだが興味もなかったか?
今考えると田舎へ避難、と言う手もあったか?

おフランスには知り合いは居ないが確かに美女も居るか?
美女発見の旅もいいかも?

森下は正直はともかく終盤の緩手二つが悔やまれる。
但し楽観はワシにもあるかも知れん?
B級定着がうなずけるような気もするか、、、?

ヘルシンキ

教授が、外国旅行の印象をかかれている。  

当方8月14日~20日までフィンランドのヘルシンキに行ってきた。その印象を書かせていただきます。

1.入国審査は、極めて簡単。パスポートをぺらぺらめくって、すぐゴム印。その間20秒。

2.スペインやフランスと違って、英語が出来る方が多い。マックに入りコーラーを注文すると、large,middle or smallと英語で聞かれた。スペインでは、同じ質問をスペイン語で聞かれる。

3.町中には、物乞いはいない。

4.その期間北京オリンピックが開催されていた。Euro Sportというチャンネルがあり、そこでオリンピックが放映された。

陸上や水泳やサッカーが中心であり、重量上げやトライアスロンの中継もあった。放映はヨーロッパの選手が中心であった。北島の2個目の金メダルが日本に帰って知った。

5.女子マラソンのライブ中継をみた。しかし、中村選手が何位でゴールしたのかまったくわからなかった。

6.女子サッカーの準決勝の日本ーアメリカのダイジェスト放映(1~2分ぐらい)があったが、野球やソフトボールの放映はまったくなかった。

7.街中で買うパンは、日本より少し高かった。

どうせ…

どうせありふれた土産や土産話で満足してくれる方ではありますまい.それならあっちの掲示板で思いも掛けず散々鍛えられたように,責められることに只々耐える作戦しかありませぬ.しかしこちらは相手の品格と知性が紅衛兵とは違うから,まだ大分楽でございますよ.

イタリーでは空港の荷扱い職員の1日ストに出遭って日程を変えたり,液体の持込が緩和されたはずだと思ってコニャックの瓶を持っていたのを没収されかけたり,中国人がボディ・チェックの後ワザとかフツーか10分以上もヘソを出したままゆっくり大声で仲間と喚きながらゆっくり服装を直しているのを見たり,最後は成田でどうみても時代に逆行して全員通関申告書を書かされた(†)ことに,苦情代りに理由を質問したり….この1年余りの間にも,世相を反映してか結構様子が変わっていましたな.

† 昨年6月からという.私は去年5月例の外務省のドジで出国できなかったのがトラウマになり,国内引き篭もり状態でしたからな.

※ ついでに,良いか悪いかは別として,帰朝直後なので落差を新鮮に感じたものかとも思いますが,一言諸賢の御意見拝聴いたしたし.

NHK杯ちょっと観れましたが,森下さんが2八角を見落としていたことを,あんなに素直に繰り返し口に出すべきものか?国際舞台のライバル同士なら考えられない.純粋に「真理探究」の世界でも,やらないでしょうね.まして国の利害があるような場面なら,意表を衝かれたとか,予想外だったというのは「時間稼ぎ」の口実に使うセリフ.日本の将棋文化は美しいかも知れぬが,花壇のようなもの.相撲の美もそれに通じるか.

教授ちわーっす

...で、土産は?そーです。そこに全部出してください。

ベリー・オールド楽園

ボンジュール 帰国したらV.O.掲示板が騒ぎになっていますね.

リュクサンブール公園を久しぶりに横切ってみました.まだひどく暑い日だった.前からあんなに運動施設や子供の遊び場が有ったかなと,ちょっと不思議でしたが,私のことだから以前はそっち側に寄り付かなかっただけかもしれませぬ.パンテオンが見通せる場所があったことも忘れていた.

今回のパリの印象の1つは,体当たりしてくる物乞いのジプシーの女の子が居なくなった代りに,大人の乞食が増えたことです.社会政索が変わったのか,EUの影響なのか.

留守中パソコンのウィルス対策そのものに異変が起きて,いろいろ時間が掛かりすぎるので,折角盛り上げていただいている「将棋史」のほうも,当面スロー・ライフのペースで,悠然と進めさせていただければと思います.人生のための振り分け頭陀袋も大分重くなって来ているし.

そういえばイタリアからパリに帰る飛行機で,隣合ったイランの実業家から大分ボヤキを聞かされました.こちらはチェス史の水を向けたが,あちらはそれどころではない.日本のことは社交辞令以上に尊敬してくれているようです.たしかに日本は,いささか喧噪ながら,まだまだ温和な楽園というべきかもしれませぬ.

シャンゼリゼで公開対局。

大盤解説と振袖の女流数人で指導もすれば将棋普及のきっかけになる。

多少のへちゃでも向こうでは可愛く見えることもある。難しい事は何もない。誰か通訳を一人つけてルールを説明すれば面白がってすぐ覚えるかもしれない?

一番つまらないのがホテルの一室で誰に知られる事も報道される事もなく対局すること。

彼等も覚えはいいほうだからやがて名棋士が現れるかも?

パリ

パリのセーヌ川のそばに日清の即席めん、お米、日本茶、大根の漬物、ふりかけ、インスタント味噌汁、キッコーマンしょうゆ、味噌(勿論日本製)等を売っている店がある。その店は、地下鉄Charies Mishelsから歩いて2~3分のところにある。

小生は、上記地下鉄駅の近くのホテルに滞在し、偶然見つけた。

旅行者は、買いに行くはずがないので、パリ在住の日本人が買いに行くのだろう。案外パリには、多くの日本人が住んでいるのではないか。よって将棋ファンも多いはずである。

小生、3年前の10月20日~10月26日パリに滞在した。日本より暖かかった。用心に越したことがないが、ワイシャツの上に上着で十分のような気がする。

そのとき、小生が泊まったホテル(上記の日本食を売っているそばのホテルではない)は、2つ星であった。エレベーターで上がると、廊下は真っ暗。スウィッチをいれると、電気がついた。

無理かも

ムーラン・ルージュもムーラン・ギャレットも現在は、閉鎖されとります。風車だけは回っておりますが。

アメリーが働いていたカフェがDeux Moulins、この
二つのMOULINSどす。

追記:竜王戦をあんな下品な18区、ピガールあたりでやっちゃいかんよ。やはり、エトワール界隈の上品なところでやらなくては。

どうせなら

どうせなら…ムラン・ルージュでは?ね、会長?

どうせなら

カフェかシャンゼリゼで記録係と3人だけで将棋をすれば良いのではないか?
あんなところまで畳と和服にこだわる事はない。
ベルサイユの一室を借りるというのもいいが?

そのくらいしないと将棋の国際化は無理じゃろう。

渡辺ブログより

>開幕はパリ僕は初のヨーロッパになります。

パリにも将棋を指す人はいます。とはいえ極めて少ない。
むしろ任天堂のほうが喫茶店の遊戯コーナーに置かれていることが多い。

パリなら、タイトル戦の和服を着ていてもあんまり注目されないと思う。
他人の衣服には興味を示さない、ある意味で、なんでもありの街ですから。

渡辺さんが、これでヨーロッパの魅力を知ってくれればよいがと思っています。

パリで将棋か

オテル・メリディアン・エトワールというたら確か5つ星プラス?
まあ、読売やから出来るんやろね。

渡辺さんとパリはなんか合わんような気もするが、
他人のことは言えん。それがしも似合わんかった。

10月中旬ゆうたら、パリは結構寒い。羽生さんも渡辺さんも
暖かいセーターを持って行かな、風邪ひきまっせ。

花のパリーで竜王戦開幕!

パリーといえばシャンゼリゼ、ルーブル、サクレクール、ピガール、、、
名人、竜王を案内する人はいるのか?
出来ればワシが、、、あたた、、腰が痛い、ムリのようじゃ、、、

教授殿は火星まで出張か?

米大統領選、マケイン美女副大統領候補で支持率オバマを上回る、、、?
女なしでは夜も明けぬ国は東も西も同じじゃのう、、、?

花はマロニエ シャンゼリゼ

ワシの散歩道といえばピガール、サンドニ、と言うのは冗談でリュクサンブルグなんかもホテルから近くでよく本を読んでいた。

明日はチュニスか モロッコか?
シャンソンでもないかと探したが古いテープが見つかるはずもなく何故かこの歌が思い出される。
長い距離を何故か兵士と旅をした。当時も戦争中で何人生き残っていることか?

パリなど飛行機でひとっ飛びと思うがそこに居ると遠いもの。そんな体験をすることもないがタイなどで女体沈没するものも居るらしい?帰るあてもなき日々に花の銀座を思うようなものか、、、?

法蘭西馬賽革命歌 (4)

ボンジュール 爽やかな朝です。

人間の本性と言うものは、本当に永い期間、今の場合は前半生どころか2/3生を振り返るとはっきり出るものなんですね。若い頃から高い所に上がることを敬遠していたことが、いまさらのように分かります。

歩いて上がるのはしんどいし、エレベーターがあるところは待たされる。

それで、散歩はブローニュの森といいたいところですが、せいぜい2度くらい。一つしか知らない誰かのフランス語の詩を口ずさみながら、リュクサンブール公園も2、3度くらい。

ベルサイユ宮殿の大池の畔は、只で入れたと思うけれども、こっちは訪問先の研究所の近くだったので、数回。思ったより貧しいという地元の人達によく出会いました。

ミサは、足がすくんでなかなか入れませぬが、教会のコンサートは結構聴きました。

そうそう〝散歩〟といえば、セーヌ河の船上の〝プロムナード・コンサート〟が最高でした。案外丁度いい時期にパリに寄れるわけでもないので、本格的なのは一度だけ。橋めぐりをしながら女性奏者のフルートとハープを聴いた。

それがサロン音楽向きのプログラムとはいえ、親しみ易さ一点張りでなく、バロックから現代曲までちゃんと一本芯が通っていたのが印象的でした。なにか文化の本物さを感じましたね。

法蘭西馬賽革命歌 (3)

漸く夜も更けて参りました。(1)のつづき。

夜が来た。約束どおり隣室で様子を窺っていた父親の耳に、
 
 
「パパ、パパ…」

という娘の声が聞こえてきた。

父親は、心配だったが、もう少しと様子を見るだけの賢さは有った。

「パパ…、…パパ、パパ…、…パパ…パ、…

パパパ パンパンパンパン パーンパパ
パパ パンパンパンパン パーン
パパパンパン パパパパ パンパンパン

サクレクールは階段

サクレクールは階段が大変だが上がればその眺望は素晴らしい。登ればその価値はある。

教会といえばサクラダファミリアは起重機を使ってか(当たり前か?)かなり建築が進んでる感じがする。初めに見たときは塔が2ー3本だったか?完成など夢、と思ってたが若い人はそれを見られるかも知れん?ただ作りたての真っ白な部分と古くなって真っ黒な部分があって何かモノ悲しかった。

生ハムは知らんがチーズはカビ入りでないと何かモノ足らん?ワインに良く合う。

行きたいが去年もユーロが170円近くあって大変な気はした。円にすると昔の倍になったような気がする。

有有無

竜王戦の手が進まないので、こちらでおしゃべりを。

サクレ・クールかノートル・ダームか、どちらも趣があり、いいですね。私はサクレ・クールの裏道を散歩するのが好きでした。ほとんど人通りがなく、のんびりと散歩できたものです。テルトル広場の偽絵描きたちにうんざりさせられた後では絶好の気晴らし。坂道を下りた後ではモンマルトルの墓地でしばし瞑想、懐かしく思い出されます。

自分が俗物のせいか、パリの中ではもっともスノッブな街と言われているサン・ジェルマン・デ・プレの界隈が好きです。女房も大好き。人ごみや市場の賑わい、しゃれた喫茶店(フロールとドゥ・マゴ)、おいしい食堂などが大好きです。長いことパリに行っていないので、今年の夏くらいは女房を慰めるためにも、久々に行ってみようかとも思っているこのごろです。

法蘭西馬賽革命歌 (2)

ボンジュール 

サクレクールのほうがノートルダムより評判が良いようですね。日本語だと聖心VS聖母マリア。

私はサクレクールの石段は一度しか上がったことが無く、他2、3度訪れたときは、丘の斜面の下のカフェでコーヒーを飲みながら建物を見上げてました。ノートルダムのほうが入りやすくて好き。

考えてみるとエッフェル塔にさえ、上がるのは面倒で、やはり半ブロックほど離れたカフェでコーヒーを飲みながら見上げていた。

こういうのが〝低回〟趣味でしょうか?志が低いかわりに目線は高い?

サクレクールは、日本の平安神宮の15年前に着手されたが、当然のことながら50年近く掛かって、完成は第1次大戦の終わった年。京都ではノートルダム女子大と平安女子大とが張り合っている。

割とパリに寄る機会が有った時期は、ワインと未だ日本で作られていなかった生ハムは大好きでしたが、それはロダン美術館の前とか、出来たとき揉めたバルザックの寝巻の銅像のあるカフェとか、何軒かに決めていました。

そのうち日本でも生ハムが出来るようになり、パリのような強烈な香りとどす黒い迫力のあるものでなく、ピンクのちりめんのようなのを恐る恐るフランスの友人に出したら、なんとこれは素晴しいといわれたことが有ります。日本人のコンプレックスを反省すべきなのか、フランス人の社交性を評価すべきか、未だに分かりませぬ。(京都のオナゴさんも物凄いどすし。)

いろんな話題ですね 

楽しい話題なので 小生も参加します。

名前は出しませんので宜しく。

パリ >サクレクールとノートルダム、うん サクレクールが良いですね。 友人は結婚式をあげる為、 結構通って OK もらった そうです。
階段を歩くと 疲れる。

フランス♀ 婚前旅行
日本の♀より 経験は早いですよ。

フランス国歌
その女性 多分マルセーユ出身 と、推測

イスタンブール
ゴチャゴチャして 好きなところですよ。

ベルリンの壁
その昔、壁を見たときに 非常に感動しました >悪い意味で チェックポイントチャーリーの検査もひどかったし。新しいベルリンに行くチャンスがない 涙

落書き
してはいけない事を教えるのは良いことでしょうが、どこでも同じです。日本人の カキコなど 10%もないでしょう <厳しく罰するのは必要 外国でも 日本でも アメリカへ行っても NY ロス など 落書きのひどさは、どうしようもない。

そうそう、落書きと言えば、 ベルリンの壁、 東側は地雷等で近寄れませんでしたが、西側は 壁のうしろが散歩道になっていました。 落書きが 沢山書いてありました。 
一番感動した落書き:
GIVE PEACE A CHANCE
下手な和訳は 付けませんが、あの場所で納得して佇んだのを 覚えています。

オバマ氏ベルリン演説成功

20万人集めた。言ったことが、

「欧(と)米、民族、宗教間の〝壁〟解体を」

演説としては上手いのでしょうが、なんだか〝壁〟が鼻につく。

娘の部屋に男が泊まりに来てオロオロしている父親が居た。怒ってラブホだか外で泊まられるのも困るし父親とは哀しきもの。それでも無事結婚して孫でも出来れば嬉しいものか?

サクレクールは日曜の朝行くと素晴らしいミサが聞かれる。ノートルダムも同じだがワシはサクレクールが好き。パリはワインがうますぎていかん、すぐ出るつもりが出られなくなる。

父親の権威のないのも困るがそんなこと言ったら家を出て行ってしまうかのう?

法蘭西馬賽革命歌 (1)

結婚式を前に不安になっている娘に父親が言った。

「じゃパパは隣の部屋に居てあげよう
心配なときはパパと呼びなさい。
大丈夫なときは、革命歌を歌いなさい」

(つづく)

【注】フランスはカトリック国なので、日本では婚前旅行が当たり前になりかけていた頃に、婚約したばかりというフランス女性に、婚約旅行に行くのか聞いたら、そんなことをしたら両親が気絶するわといわれました。文化の違いは大きい。一つ間違えばセクハラになったかもしれませぬ。

コンスタンティノーポリ

ある本の裏表紙かに地図があり現イスタンブールをコンスタンティノーポリと書いてあった。ギリシャの中年以上は蛮族による聖地侵略者の呼称を受け入れることは出来ない。

あれから約5世紀、、、東欧に力がないにせよ武力、経済力に勝る西欧にも、何故聖地回復の動きさえなかったのか?ワシには partigiano の思いと重なる、、、

この歌は単調なリズムで意味を知らないとつまらんがそれを知ると泣ける。そういえばフランス革命の歌をパリのホテルで洗濯してるおばちゃんが歌ってるのを聞いたときには何故か心安まった。

〝さらば恋人よ〟

日本では、確か東大音感合唱団訳で、ト短調の楽譜が流通。
大好きな曲でした。

ある朝 目覚めて
さらば さらば 恋人よ
目覚めて 我は見ぬ
攻め入る敵を

当然のことながら、なにかパルチザン映画の背景音楽にも、使われていた。

原題はBella Ciaoだったのですか。こうやって見るとイタリー語の歌詞がやっぱりいい。

まさかフィレンツェの大聖堂への思いと重なるということは…

そういうこともありそうですね。

BELLA

BELLA CIAO
(イタリアパルチザンの歌)

Una mattina mi son svegliato

O bella ciao, bella ciao, bella ciao ciao ciao

una mattina mi son svegliato

e ho trovato l'invasor.

O partigiano portami via

O bella ciao, bella ciao, bella ciao ciao ciao

o partigiano portami via

che mi sento di morir.

E se io muoio da partigiano

O bella ciao, bella ciao, bella ciao ciao ciao

e se io muoio da partigiano

tu mi devi seppellir

Seppellire lassu in montagna

O bella ciao, bella ciao, bella ciao ciao ciao

Seppellire lassu in montagna

sotto l'ombra di un bel fior

E le genti che passeranno

O bella ciao, bella ciao, bella ciao ciao ciao

e le genti che passeranno

mi diranno che bel fior

Questo e il fiore del partigiano

O bella ciao, bella ciao, bella ciao ciao ciao

questo e il fiore del partigiano

morto per la liberta.

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日本語訳

ある朝,起きると

オ・ベッラチャオ・ベッラチャオ・ベッラチャオチャオチャオ

ある朝,起きると

侵略者がいた

パルチザンよ,僕を連れていってくれ

オ・ベッラチャオ・ベッラチャオ・ベッラチャオチャオチャオ

パルチザンよ,僕を連れていってくれ

死にそうなんだ

パルチザンとして死んだら

オ・ベッラチャオ・ベッラチャオ・ベッラチャオチャオチャオ

パルチザンとして死んだら

僕を葬ってくれ

あの山の上に葬って

オ・ベッラチャオ・ベッラチャオ・ベッラチャオチャオチャオ

あの山の上に葬って

きれいな花の下に

そこを通る人は

オ・ベッラチャオ・ベッラチャオ・ベッラチャオチャオチャオ

そこを通る人は

きれいな花だと言うんだ

これがパルチザンの花だ

オ・ベッラチャオ・ベッラチャオ・ベッラチャオチャオチャオ

これがパルチザンの花だ

自由のために死んだパルチザンの

ps
急に歌を思い出してしまった。
ワシは単に女性差別は反対!

白い象

白馬の騎士は買占め対策に出てくるものでしたかね。これは日本向けの意訳で本来は白い甲冑の騎士らしいですが。そうだとすると「グレート・レース」でプロフェッサー・ホワイトが出て来たのも納得できる。

今朝の毎日余録で、シャム、つまりタイ、の王様が、嫌いな相手に白い象を贈って困らせる話が載っていました。貴重なものだから大事にしなきゃいけないが、金が掛かって、家運が傾くことも多いそうな。

余録子は、これを教育界の贈答に結び付けていました。最近やっと表沙汰になったが、おそらく大分だけのことでなく、全都道府県ほぼ似たようなことなのでしょう。一つには冷戦時代に左翼対策と言うことで、秘密裡に縁故採用が正当化されていたことの名残でしょう。

今朝の毎日には、もう一つ面白い動物の話が載っていたが、それは後でと金掲示板の「駒音掲示板」トピックの方で。

銀助六様のトルコの話。面白いけれども良く分かりませぬ。愚の講義もときどき学生に言われる。正確には順序が逆で「良く分からないけれども面白いです」ということです。トルコには残念ながらまだ行った事がありませぬ。

愚妻は5月に行って、大喜びで帰ってきました。クルムとかいう常温で馬鹿に日持ちがする硬目のゼリー状の紅いサイコロ状の菓子があって、まだ食べてます。

ビザンチン・チェスにもマタ触れることになるでしょう。

Euro2008でトル

Euro2008でトルコがベスト4?

トルコとはどこの国か?女性差別してスカーフも強制する野蛮国か?
EUと聞いて思い出した。トルコはEUではない。女性を解放せよ。ブラもパンチイも取る権利を与えよ!ワシはまじナチュラリスタ。

EUに入りたかったらキプロスから出て行け。コンスタンティノーポリから出て行け。ビザンチン帝国を復興せよ!(半分マジじゃ)

アメリカ大統領選の行方

ヒラリーさんは負けてしまったが、彼女がブランデンブルク門広場で演説する場合だったならば、あの同性のドイツ首相を筆頭に、ドイツ政界が同じ反応をしただろうか?マケイン氏だったらどうだったか?

ベルリン市長は、オバマ氏の演説を大いに歓迎していた。許可権限を持って居たのは彼だ。ドイツ外相も賛成していた。

一方の候補にに肩入れする印象を与えることは好ましくないというのは、某将棋掲示板でも出ないほどの「お粗末な言いがかり」。マケイン氏が同様に演説を希望したら、それも受け入れれば良いだけのこと。

ベルリンの壁崩壊の前だったが、ドイツ人とロシヤ人との間の敵意は想像を絶する凄まじいものであることを垣間見たことがあるが、アメリカ人が絡むとまた別。

ドイツの小者らしい人物は、「ドイツの選挙戦をワシントンでやるものは居ない」と吐き捨てたが、一見もっともなようで、どうも国際政治の視点や歴史的展望に欠けてはいないだろうか?

足元を顧みて、わが日本で、京都とか広島とか長崎で、米大統領候補が演説することに、国民感情や、国際世論はどうなるだろう。

ドイツ人にとって、ブランデンブルク門は、それほど大切な「誇り」の象徴なのか?

否そうではあるまい。「屈辱」の象徴なのだ。ベルリンの壁も、アメリカの影響力のもとにやっと崩壊させられたというコンプレックス。そこでアメリカ人(それもケニア系)に大きな顔で選挙演説されては堪らないというのが、反対派の本心に違いない。

しかしオバマ氏が当選した場合、今の独首相である限り米独関係は冷え込むだろう。ドイツもアメリカも何処へ行く?ひいてはEUも。

ブランデンブルク門広場でつぎに演説する外国人政治家は、米大統領は、果たして誰か。

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